ことり通信

地域ならではのすてきなものや旅のことをつらつらと

ほぼ初めての海外は女香港一人旅(香港編)ー香港3日目ー

熱気とスコール

3日目もアラームより早くが覚めた。香港に来てから、寝ていても興奮が収まらないのが分かる。昨日と同じようにまず天気予報をチェックするが、地元に住むマンゴーも言っていた通り、香港の予報は大ざっぱで、天気自体も移り気だと感じていた。予報は渡航前と変わらず雷雨マークがついていたが、この2日間、にわか雨にふられることはあったが、雷の音を聞いたことはなかった。ランタオ島の大澳やマカオに行くなら今日しかないが、九龍半島に足を延ばさずにはいられないと感覚的に思った。

f:id:n_kotori:20190725214618j:plain

香港島の対岸に見える九龍半島の街並み

 

朝食をとるため、宿で聞いた裏手の路地へ行ってみるが、まだ開店前の店が多く人もまばらだ。夜遅くまで開いてる店が多いと聞いていたが、そのために朝は遅いのか、あるいは道を間違えたか。海へと続く眼前の道を渡ると、チョンヨンガイがある。初日に思わぬ形で歩いた市場は、この町の台所を担っているようだ。朝から店に集まる人のやりとりを見ている内に、ここで手軽に食べられるものを買い、朝食を調達してみようと思いついた。

 足元に敷かれたトラムの線路の上を歩く買い物客。トラムの姿が見えないうちは車もバスも線路上を通る。

 

八百屋には、見たことのない野菜から日本でおなじみのものも置いてある。中国本土からの観光客と思われる2人組の青年が、頭上にぶら下げられたビニール袋をとり、商品をつめて店員に渡す様子を見ていた私は、「日本製 王林」と書かれたリンゴを袋に入れて女主人に差し出した。宿で同室の女の子がこの緑色のリンゴを部屋に持ち込んでいたのをまねてのことだった。価格は「40元」とあったが、香港ドルでいくらなのか分からない。手持ちの硬貨を見せるが女主人が渋い顔をするので、一番小さな紙幣の10$札を手渡すと「OK」という顔をした。これが適当なのか、ごまかされているのかわからないが、この金額なら構わないと思った。

次はパン屋で「3$」と書かれたエッグタルトを手にし、次こそはと入念に金額を確かめ、硬貨を差し出した。香港の硬貨は7種類。紙幣と同じ10香港ドルからそれ以下の単位であるセント(¢)が50、20、10と3種類ある。ドル硬貨で言えば金額に応じて大きさが変わるわけでなく、セントという日本にはない感覚になかなか慣れない。その上、「もたつく観光客を待ってくれない気質のため硬貨ばかりが溜まる」という事前情報は、来てみてると納得するものがあり、利便性の高いオクトパスばかり使っていたので使う機会をうかがっていた。ようやく硬貨が少し減った。

 

朝食を手にし、財布も気持ちも軽くなった。次は終着駅の「ノースポイントターミナル」から乗車し、香港最後になるだろうトラムを味わうことにしよう。複数のイスが並べられた屋根付きの待合所と思われる場所は、煙をくゆらせる喫煙者たちのたまり場と化していた。朝食ぐらい座って取りたかったが、仕方なくトラムを待つ間、立ってリンゴをほうばった。そういえば、昨日も一昨日も通勤時間と重なった朝、何かを口に押し込みながら足早に歩く人を各地で見た。マンゴーの話を思い出す。「日本のドラマのように、朝家族で一緒に食べることはありません。家で作ったりもあまりしないですねー」。言葉の通り、香港では皆が忙しく働いているようだった。昨朝粥を食べた大衆食堂や市場の八百屋では威勢のいい女性たちが、島の中心部に行けばスーツ姿の会社員が、路地裏の工事現場では作業員が、皆よく働いていた。東京の約半分という小さな面積ながら、国際金融都市として急速に発展してきた香港。なかなか噛めないリンゴに食らいつきながら、街のエネルギーに負けまいと、自分の体の底から力がわいてくるような感覚を覚えていた。

f:id:n_kotori:20190725215731j:plain

路地裏の工事現場。道を抜けた先には整然としたオフィスビルが立ち並ぶ。

          ノースポイントターミナル駅で出発を待つトラム車内

 

経済の中心地・中環周辺はオフィスビルが立ち並び、スーツ姿のビジネスマンと周囲をきょろきょろと見回す観光客が混在していた。ここには対岸の九龍半島ほか、周辺の島々へ渡る船の集まる埠頭がある。スターフェリーはいかにも観光といった短パン姿の男性や、花柄のワンピースを来た女性、家族連れなどがまばらに乗っていた。

f:id:n_kotori:20190726155950j:plain

f:id:n_kotori:20190725220737j:plain

スターフェリーから下船。地下鉄も通る現在は観光客の利用が殆どのようだ。

景色を楽しむ間もなく対岸の尖沙咀に着くと、瞬く間にディズニーのキャラクターが目に入ってきた。家族連れが吸い寄せられるようにその施設に入っていく。人並みにまかせて歩いていくと、左手に趣向をこらした建築物が表れた。1881というロゴが入った噴水の前で次々と記念撮影をする人が見て取れる。ガイドブックに「1881年創建の水上警察本部の建物」とあったことを思い出し、中を散策しようかと思ったが、厚い扉に覆われたブランドショップがずらりと並ぶ様をみて断念する。それより、『深夜特急」で沢木耕太郎が拠点としたエリアへ行ってみたかった。

              フェリーを乗り場の目の前にあった施設

 

彌敦道(ネイザンロード)を歩く。彼が書いた当時のまま、通りにはペニンシュラホテルが威厳ある姿を保っていた。安宿のメッカ、チョンキンマンションも見えてきた。マンションという名前からかけ離れた、秋葉原の家電量販店のような外観をしている。今日はここであまたある両替商を見比べ、スムーズに両替することを自分の中での挑戦と決めていた。その前に腹ごしらえだ。

1本わきの路地に目当てのマクドナルドを見つけ、地下の入口に向かう。グローバル企業だからこそ、国ごとに特色があるだろうと思っていたのだが、まず注文方法からして違う。大型のタッチパネルを見ながら、客が商品を選び会計まで済ませる仕組みになっている。列に並び、他の客の様子を注視しながらやってみると、意外と簡単だ。旧字体の漢字は読めないが、写真となんとなくのニュアンスでわかる。が、会計で頓挫した。

これまで様々な支払方法を試そうとしてきた中、唯一クレジットカード払いができていなかったので、いよいよとカードをリーダーに通すのだが、何度やってもエラーになってしまう。後ろにいらだつ人の気配を感じたので、仕方なく対面レジらしき列に並び、エラー表示されたレシートを見せると、彼女はすぐに理解したようだ。カードを受け取ると、リーダーに通し「暗証番号入力を」と入力盤を指さしながら話している。先程とは違う、清算済と書かれているらしいレシートを受け取り「センキュー」と礼を言う。商品は次々と専用の窓口から渡されるが、飲み物がついていない。ここではマックカフェが併設し、ドリンクはそちらで受け取る仕組みになっているようだ。

 

席を確保し、お茶と思われるドリンクを飲もうとしたがストローが付いていない。マックカフェに戻り、事情を説明すると忙しさの余りか苛立ちが収まらない様子だ。マックが時間に急かされ落ち着かないのはどこも不変なのか。戻り際、今一度タッチパネルで操作する客を見ていると、入力盤の一番下の隙間から、カードを奥へ押し込む様子が見て取れた。先程の私は、入力盤のわきの隙間を縦にスライドさせていた。差し込む場所が違ったのだ。

日本で食べるのと全く同じ味のフィッシュバーガーとポテトをつまむ。違うのはやたらに甘いお茶だけだ。「キャヌアイシット、オーケー?」。顔を上げると地元の人だろうか、タンクトップにショートパンツのアジア系の女性が立っている。「オフコース」。香港では相席が一般的との事前情報を得ていたのでさして驚かなかったが、この女性が去った後、無言で初老の男性が座ってきたのはややカルチャーショックだった。このマックには彼のように、一人で訪れている年配の客もちらほらいるようだ。位置づけが日本とは少し違うのか、他の理由があるのだろうか。

f:id:n_kotori:20190726161154j:plain

ネイザンロード沿いに建つチョンキンマンション

チョンキンマンションへ向かう。手前にあった両替商で参考までにレートを確認。スマホを取り出し、今一度両替の手順を頭に叩き込む。通りに面した入口付近はインド系の客引きでごった返している。わき目もふらずに中へ進む。確かに、1階は両替商だらけだ。一軒一軒「JPY」のレートを確認する。奥へ進むにつれて、インド系や東南アジア系だろうか、香辛料のにおいがただよう飲食店も数軒並ぶが、そのどこにも観光客らしきものはいない。ガイドブックに書かれた両替店も見つけるが、あまりレートは良くない。1番レートが良い店へ戻り、5000円を取り出す。パソコンではじき出された金額に目を通すと、機械から自動で紙幣と硬貨が出てくる仕組みのようだ。レシートと硬貨を受け取り、慣れない硬貨を1枚1枚確認する。「オーケー。センキュー」。人目につかないようセキュリティポーチにしまいこむと、張り詰めていた糸が一気にゆるむのを感じた。香港へ来る前に課したいくつかの目標の中で、最もハードルが高く感じていたことを終えられた。安堵感から、足取りは一気に軽くなった。

 

私は、ネイザンロード周辺をあてもなく歩いた。チョンキンマンションの大半を占めているはずの安宿にあがるエレベーターを見つけようと脇道にはいると、洗濯物をポリバケツに入れた宿のスタッフらしい細腕の男性や、イスに座って休憩しているエプロンをつけた人の姿があった。カメラをぶら下げた観光客が通るには明らかに場違いの雰囲気だったが、ただ、香港の裏も表も見たかった。

f:id:n_kotori:20190726161642j:plain

脇道へ迷い込むと、表通りとは全く異なる顔をみせる。

裏路地には大衆食堂が数軒並んでいたが、すぐにウッドデッキが備えられた今風のショッピングセンターが表れた。再びチョンキンマンションに戻って地下に降りると、整然と商品が陳列されたアディダスショップがフロアの殆どを占めていた。

30年以上も前に出版された『深夜特急』に描かれた香港の町並が消えつつあることは考えてみれは当然なのだ。だが唯一、再びチョンキンマンションに入ろうとした際に、「お姉さん、安いよー」とインド系の客引きに声をかけられた時は、『深夜特急』の世界そのままだったことが嬉しくて、思わず笑った。目にした一つ一つの現実を受けとめながら、これが今の香港なのだと私は自分に言い聞かせた。

 

              公団住宅が立ち並ぶシャムスイポー

f:id:n_kotori:20190726164253j:plain

ひと昔前の香港の生活を記録展示している美荷樓生活館

       旺角で目にしたモニュメント。付近には金魚屋がずらりとひしめいていた。

 

窓にたたきつける雨は未だやみそうにない。眼下の店先で雨宿りする人たちを見ながら、私は九龍半島に渡ってからの半日を思い出していた。旺角のショッピングセンター「MOKO」で話しかけられた、中国本土から移住したという英語が堪能な中年の女性。イギリス製の紅茶を勧める販売員と言葉の橋渡しをしてくれた。

急ぎ足で駆け抜けたシャムスイポー。「昔ながらの香港が残っている」というマンゴーの言葉通り、漢方か何かの怪しげな薬屋や散髪屋など、ここで暮らす人のための店がずらりと並び、それまで歩いたどの町とも違うひと昔前の空気を感じた。目当ての「美荷樓生活館」に滑り込みで入場し、今も付近に立ち並ぶ公団住宅の歴史を垣間見た。

 今はユースホステルとしても利用される、美荷樓生活館内のカフェにて。この紅茶の味が忘れられない。

 

女人街の露店では、硬貨を使いたい思いから提示した金額が思いがけず値引き交渉に発展し、50セント安く土産を買うことができた。どこまでも続く露店を歩いている時、スコールがやってきて、このバスに飛び乗った。

f:id:n_kotori:20190726162617j:plain

女人街の露店

バスはフェリー発着所のある埠頭に向かっている。毎夜20時には、九龍半島側から、対岸の高層ビルで催される「シンフォニーオブライツ」を鑑賞するのが観光の定番と聞いている。

夜景もエッグタルトも、感情を揺さぶるものではなかった。自分がそういう人間ということは知っていたから、観光の目玉であるこのショーを見ることも意味がないように思えたが、定番を知らずに人に語ることはできないのではないのか、などという理屈が浮かんでは消える。埠頭には平日にも関わらず人垣ができていた。

f:id:n_kotori:20190726163054j:plain

埠頭から見た対岸の高層ビル群

ショーまであと10数分という所で、香港島に渡るフェリー乗り場へ向かった。スコールはショーのための演出だったかと思うような、絶妙のタイミングでやんでいた。待ちわびる人の熱気と自分との差も感じていたが、一人旅をこれまで経験した中で、観光用のイベントやアトラクションを体験したところで、「誰かと分かち合いたい」という気持ちが年々募っていることを認めざるを得なかった。一人旅と観光は相いれない面があるというのが個人的な見解となっていた。

フェリーはネオンが反射する水面をゆっくりと進む。時刻は20時を過ぎた。対岸の高層ビルからぼんやりとした光が空に伸び、左右に動いているのが見える。スコールがあがり、薄い霧に覆われた湾内を照らす光のショーは、ビクトリアピークで見た夜景と同じように、苦笑いを浮かべたくなるような出来だった。どこか安堵する自分を感じながら、窓越しに見える香港最後の夜をカメラにおさめた。

f:id:n_kotori:20190726163742j:plain

光のショーを待つ埠頭の人だかり