ことり通信

地域ならではのすてきなものや旅のことをつらつらと

ほぼ初めての海外は女香港一人旅(香港編)ー香港1日目・下ー

異国の優しさ

エアポートエクスプレス利用者用のシャトルバスは、空港と街中の主要ホテルをつないでいた。H4系統バス3番目の停車場となる「シティ・ガーデン」ホテルに着くと、乗客らの荷物を取りに駆け寄るベルボーイ達をよそに、地図を片手にわが宿を目指した。目の前の裏通りを西に進み、通りを2本右に折れれば、メインストリートである英皇道に出るはずだ。宿は、そこを左に折れて程なくしたところにある。

 

英皇道と思われる通りに出ると、目の前を2階建ての路面電車・トラムが通り過ぎていった。その前や後ろを、通行人が何食わぬ顔で通過していく。左に折れるとむきだしの店頭に、肉や野菜を並べた商店がずらりと並び、今夜の料理は何にしようと算段しているのか、真剣な目の女性たちが連なって歩道をふさいでいる。キャリーケースをひいて歩く者は誰一人いない。道には商店から流れてきたのか、至る所に水たまりができている。肉や魚は生のまま吊るされたり、ザルに入れられ陳列されているため、独特のにおいがあちこちから漂ってくる。

 

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ふと、ぽつぽつと頭にあたる水滴を感じた。雨かと空を見上げるがそうではない。先へ行くとまたポツポツと頭に落ちるものがある。どうやら、歩道に向かって張り出している店のビニールカバーをつたい、溜まった水滴が落ちてきているらしい。それにしても目印にしている緑色の高層の建物が出てこない。道を間違えたことは明らかだった。地図を見るまでもなく、ここは裏通りのようだった。

交差点に出たところで右へ折れると、すぐに英皇道らしきメイン通りが見えてきた。5車線はあるだろうか、車両の数も急に増え、両側に建つ建物がぐんと高くなった。「ホーミーインノースポイント(Homyinn|灝美連鎖式旅舍)」は、写真で見た通り、緑色の壁面にその名が大きく書かれ、入り口はステンレス製だろうか格子状の無機質な扉があるだけだ。日本と異なる一つ一つのことに香港を感じ、胸が躍る。

 

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北角エリアのメイン通り・英皇道には高層のアパートが立ち並ぶ。

 

エレベーターで上がった2階の受付で予約した旨を伝えると、カードを渡され何かの説明がされているようだ。日本以上に蒸し暑い香港特有の気候と、入国からここまで何の水分もとらず無我夢中でやってきたせいか、頭が回らず相手の言うことが飲み込めない。と、聞きなれた日本語が聞こえてきた。20代と思われる目の前の眼鏡をかけた女性スタッフは「少しだけ、話せます」と謙遜しながら、先程英語で話したことをゆっくりとした日本語で繰り返した。渡されたカードには、各フロア用と部屋用の暗証番号が書かれ、番号を打ち込むと中に入れるとのことだった。事務的なことを話しているだけなのに、そのカタコトの日本語を聞いていると不思議とほっとしている自分がいた。ここは私の宿だ。帰ってきたいと思える場所が香港にある。香港に着いてからずっと自分の至らなさ故とはいえ、異国の洗礼に心が折れそうになっていたが、彼女の口から話される聞きなれた言葉を聞いていると、張り詰めていた糸がゆるんでいくのを感じた。

 

手をかざすと液晶画面に入力用ボードが表れる部屋の入口。格安だがセキュリティは安心できるつくり。

 

部屋へ入り、荷物を置く。2人用ドミトリーだが相方はまだ来ていないようだ。一段高くなった使い勝手のよさそうな方のベッドにキャリーケースをしまいこむ。時刻は16時前になっていた。少し前まで、このまま今日は宿で過ごしてしまおうかと気弱な考えがもたげていたが、とにかく出かけることにした。

ガイドブックをパラパラとめくる。宿のある北角エリアや香港島の地図を見る。そういえば、明日会う香港人の友人がミルクティーをぜひ飲んでほしいと言っていた。体は甘いものを欲していた。灣仔エリアの紅茶屋が目に入った。そう遠くはなさそうだ。それと、今日は晴れてはいないが雨も降らなそうだから、香港名物とされる夜景も見に行ってみよう。

受付に降り、眼鏡の彼女に行きたい場所と交通手段を相談すると、紅茶屋は宿からほど近いトラムの駅から、数えて十数個めの「仙頭街」を降りてすぐだという。そして夜景スポットのビクトリアピークは、地下鉄から直通のバスに乗り継ぐといいとレクチャーしてくれた。事前に聞いていた情報では、ロープウェイで上がるものと思っていたが、少し前から改修工事に入り、今はバスでしか行けないという。聞いてみてよかった。聞かずに行っていたら、動いていないロープウェイを前に右往左往、時間を無駄にするばかりか大きな精神的ダメージを受ける自分が容易に想像できた。

3泊過ごしたわが部屋。香港サイズの部屋は、かなりコンパクト。

 

香港で初めて乗ったトラムに私はすぐ魅了された。きらびやかなショッピングビルがあると思えば、室外機と洗濯物が壁面をびっしりと覆う、見上げるような高さのアパートが連なる景色。そうかと思えば、アーケード状になった歩道には飲食店や銀行、商店が所狭しと配置され、老若男女が行きかうエリア。ここで暮らす香港の人々の営みが、吹きさらしの窓越しに次々と目に飛び込んでくる。通り抜けてゆく風は、体にまとわりつく海風をはらんだ湿気を一時忘れさせてくれた。

トラムから見た商店が連なるエリア

進行方向の違うトラムとのすれ違いはよくある光景

突然ショッピングビルが表れ、景色が一変することも

 

ガイドブックで見つけた「我杯茶」は、トラムの走る大通りからすぐの場所にあった。「香港ミルクティーの世界大会チャンピオンのティースタンド」とあったが、観光客らしき者はいない。店員とおしゃべりする客の間を割って店内に入り、メニューを指さしながら瓶入りのミルクティーを注文した。細長いジャム瓶のような変わった形に胸躍らせ飲もうとするが、蓋が開かない。おしゃべりに夢中の店員に開けてほしいと頼むと、右に一ひねり。いとも簡単に開けてみせた。礼を言ってスタンド型のイスに座り一口飲む。うまい。甘い。心も体も満たされるのを感じる。聞こえてくるのは意味もその言語が何語かも(香港は広東語と北京語、英語が公用語)わからない言葉。周囲の人、目に映るもの、何もかもが知らないことだらけの世界。体の中を何かが駆け抜けていくような気がした。

駆けつけの一杯はアイスミルクティー

 

水分と糖分を補給したところで、次は空腹感をみたそうと「我杯茶」からすぐの「奇華餅家」へ向かった。機内食を食べてからもう5時間近くたっている。店内にはパンや焼き菓子が整然と並べられ、日本でもおなじみのエッグタルトも売られている。座ってお茶をしたい旨を店員に話すと、2階にティーサロンがあるという。私のような観光客が多いのか、ティーサロンでは「ウェルカム」という英語での挨拶とともに、一番奥の目玉席と思われるテーブルに通された。藤のような天然素材で編まれた3人ほどが座れそうなソファに、ふかふかのクッションが並ぶ。「想像外の価格帯だったら、どうにか言って後にしよう」そんなことを思いながらメニューが出されるのを待った。

年長と思われる男性スタッフが笑みをたたえて近づいてくる。メニューには日本では見慣れない旧字体の漢字で記されたお茶の名前がずらりと並ぶ。価格は30香港ドル前後。1香港ドルが約15円なので450円前後である。疑いたくなるほど安い。おすすめや好みの味を伝え、散々迷って「碧螺春」というお茶に決める。食事は1階で買ったものを持ち込んでも構わないというので、せっかくだからとエッグタルトを購入する。

ティーポットで提供された「碧螺春」はよく言えばくせがなく、いくらでも飲める味だった。平日の夕方だからか、店内は数えるほどの地元客しか見当たらい。ガイドブックをひろげ、明日以降の予定を考えたり、店内を見渡したりと、誰にも気兼ねせず、日本のカフェにいるかのような時間を過ごした。会計には「服務費(10%)3.2$」が含まれていた。レストランで上積みされるサービス料は香港に来て初めてだったが、過ごした時間を考えると納得がいく。風習として残ると聞いていたチップはどうすべきか悩んだが、これで良しとしよう。

奇華餅家のティーサロンにて。ティーポットでの提供が、「どうぞごゆっくり」と言っているようで嬉しい。

 

来た道を戻り、地下鉄の灣仔駅を探す。帰宅ラッシュと重なったか、東京をほうふつとさせる人並みだ。初めての地下鉄に乗る前に、オクトパスにチャージしようと専用の機械に立ち寄る。しかし、最後の所でうまくいかない。50香港ドルからしか受け付けない仕組みのようなのだが、手元には10香港ドルか100香港ドルしかない。

「客務中心」と書かれた有人のカウンターに向かい、つたない英語で説明する。ベテランの大柄な女性スタッフは、少しでも日本語を使うと「ノージャパニーズ!ノー!オンリーイングリッシュ!」とこちらの声をかき消すような勢いでまくしたてた。しかしこちらもここで食い下がるわけにはいかない。荷物から紙幣を取り出し、「現金は持っているが機械が受け付ける紙幣がないのだ」と必死に伝える。隣にいる若い女性スタッフが心配したような、おびえたような表情でこちらのやり取りを見ている。

ベテランの彼女は若い彼女と話したかと思うと、仕方ないというようにこちらのオクトパスを受け取り、機械にかざすと100香港ドル札と引き換えに50香港ドル札とオクトパスを手渡してくれた。また一つ壁を超えたような気分で改札に向かう。周囲と同じように「ピッ」とオクトパスをかざせば扉が開く・・はずが開かない。何度やっても開かない。音はするのに開かない。半ばパニックになり、また恐る恐る「客務中心」に戻る。

窓口は2口あるから、ベテランの彼女と違う方にあたりたい。が、そんな時こそあたらない。また来たのと言わんばかりの彼女に向かい「アイキャントユーズディスオクトパス」と伝える。差し出したオクトパスを無言で受け取り、機械にかざす。何かを理解した彼女。遠くの方を見、手招きしたかと思うと、10代と見える少年が近くにやってきて、何やらこちらへ来いと言っている。

歩き出した彼の後を訳も分からずついていく。こちらが差し出したオクトパスを改札にかざすと、先程と同じく「ピッ」と響く電子音。扉は開かない。しかし彼は行けと言っている。「だって扉っていうか、この回転式の鉄の棒が行く手を阻んでいますよ」と弱音を吐く自分の声が聞こえる。力任せに扉を押すと、棒はぐるりと回転し、はるか遠くに思えた改札内に入っていた。後ろをふりむき少年を探すが、見えたのは彼の足速に去る後ろ姿だけ。恥ずかしさと情けなさと嬉しさがぐちゃぐちゃになった気持ちを誰かに伝えたいが、その相手はいなかった。

地下鉄通路にあった日本人女優が使われた電子公告。無我夢中で、地下鉄の写真は一枚もとっていない。

 

目指す駅は一つ隣の銅鑼灣。路線図で行く方向を確認していると、「エクスキューズミー」と声をかけられた。こちらよりはるかに滑らかな英語で、しかし母国語ではないと思われるアジア系の顔をした青年2人が、銅鑼灣を指さしながら「どの電車に乗ればいいのか」と聞いている。同じ英語でも、空港で事務的に話された滑らかな言葉とはまるで違う言語に聞こえる。「私も同じ駅へ向かおうと思っているが、日本人で君たちと同じ観光客だよ」と伝えると、驚いたような嬉しそうな顔をした。私は路線図を指さしながら、「『堅尼地城』が終点のようだから、そこ行きに乗ればいいんじゃないか」と提案し歩き出した。

ホームに向かう間、お互いの話をした。彼らは韓国人で、同じく旅行。私は一人旅だと話すと信じられないという表情をした。電車が来て飛び乗る。銅鑼灣駅で降り、出口へと続く方向を探すと、階段を見つけた彼らがこっちだと手招きしてくれた。「彼らはどこへ行くのだろう。同じビクトリアピークなら、一緒に行きながらこうして交流するのも旅の醍醐味じゃないか」。そんなことを思っているうち、道が分かれている場所へ来た。地図をみながら出口を探すが、お互い全く分からない。私は駅員を見つけ、そちらへ向かって歩き出す間も、彼らは地図の前で相談している模様だ。

行くべき方向が分かった。「これで彼らも同じならまた声をかけて一緒に・・」そう思いながら元いた方へ戻る途中、歩き出した彼らの姿が見えた。その方向は私が向かう出口とは真逆で、彼らは私とは異なる場所へ向かうらしかった。

香港の夜景スポット・ビクトリアピークから見えた景色

 

長い一日だった。成田を発ち、飛行機の中で中国から来た中年男性と話した。空港ではインド系や香港系スタッフの滑らかすぎる英語が冷たく聞こえ、要領も得ず、街へ出るのに2時間近くかかった。今いるのは、日本語を話す香港人の女性がいる宿で、同室には中国本土から来た何語なら伝わるかわからない女の子がいる。夜景を見に行ったビクトリアピークでは、2組の日本人から英語で話しかけられた。「日本人です。一人です」と伝えると、やはり驚かれ、スリに気を付けてと助言をされた。一人でいるから地元の人間に見えるのか、ただ話しかけやすそうなだけなのか。分からないが、この土地で暮らす人となるべく同じ感覚を持ちたいという気持ちだけはあった。そんなことが3泊4日の観光旅行でできないことは分かっていたが、自分と違う文化や価値観を持つ社会へ足を踏み入れる楽しさは、外から眺めることではなく、中に入って感じるもののような気がしていた。

ビクトリアピークから見た夜景は、うっすらとした霧がかかり、観光には及第点ぎりぎりという状態だった。それがかえって飾らない普段着の香港を見ている気がして、心を落ち着かせた。中国語が飛び交うビクトリアピークからのバスに乗り、宿に着くと時刻は22時近くになっていた。